シフト アセスメント

最近になって、自分が結構興味深い人生送っている事に気付きました。そして、私の経験が結構まわりの人達を元気付けていると言う事にも気付きました。自分の中では平凡な暮らしですが、私の経験が他の人達に夢と希望を与える事ができるのであればと思いブログを始める事にしました。

アメリカで看護師になる。その2:入学準備

アメリカで看護学校に入るのにその学校が定めている必修科目を全て終わらせ、その学校が定めている成績をクリアし、そして書類選考の後、面接を行い、学業だけでなく、人柄やその人の看護専門学に対する野心などをわきまえ、生徒を選択します。

 

高校から直接生徒を学部に入れる学校もあれば、2年間のPre-Nursingという専攻を終了してから学部を受験して入るルートもあります。大体高校から直接看護大学に入学する生徒はアメリカの軍隊に入隊した生徒達です。

 

その州や学校によって、難度が異なります。私の住んでいる西海岸の方は難度がかなり高く、何度も受験し直している人達がたくさんいます。ちなみに、私はアメリカ南部の大学の看護学部に一発で受かりました。正直いって、今でもとても不思議です。

 

必修科目大体どこの学校も次の通りです:

生物学:General Biology, Anatomy, Physiology, Nutrition Science、Microbiology.

科学:General Chemistry, Organic Chemistry,  Biochemistry, 

数学:Algebra, Pre-Calculus、Statistics

基礎英語、社会学、心理学、人間開発、人類学、

ってとこですかね。。。。。

 

結構難しそうですが、科学と数学は全て日本の中学生レベルです。特に数学は数字を理解して、計算できれば結構ついていけます。科学も結構絵文字のような感じで、結構簡単に理解できました。社会学、心理学、人間開発、人類学は英語のクラスの延長のようなもので、テキストが読めるようになったら、すんなりと理解できるようになりました。私が、個人的に大変だと思ったのが、生物学でした。General Biology は日本の中学生レベルでしたが、Anatomy, Physiology,Microbiologyは、人間の体の部分と機能をしっかりと学ぶって感じで、日本で、高卒の、医療関係に携わったことのない私としては、日本語にしても分からないレベルでした。今では、Anatomy, Physiology, Microbiologyあたりは、英語で直接学んだので、返って日本語で言われても分からな苦なってます。

 

数学や科学はそこまで難しくなかったと言っても、やはり英語でアメリカ人と一緒クラスをとるのに慣れていなかったので、クラスのペースについて行けず、はじめ学期は無理でした。初めは科学2クラス、生物学2クラス取りましたが、全くクラスについていけず、全てドロップして、数学1クラス、基礎英語、自分が興味ある選択教科、という感じで、3クラスずつゆっくりこなす事にしました。1年くらい経った頃、クラスに慣れてきたので、2年目からは、アメリカ人の人達と同じレベルで、4−5クラス一気に取れるようになりました。

 

そして晴れて、看護学部に合格し、そこから地獄のような学校生活が始まりました。

アメリカで看護師になるーその1:決断

アメリカの看護大学って、一応卒業したら、4年制の学位、BSN (Bachelor of Science in Nursing) をもらえるけど、プログラム自体は2年なんですよね。

 

大学の1年目と2年目はPre-Nursingといって、看護学部を受験ための必修科目を取り、その必修科目を全て終わらせてから、看護学部に願書を送り、そこで選ばれたら、晴れて看護学部生3年目と4年目を終わらせると言うシステムです。

 

もう4年生の何か学位を持っている人であれば、1年半の短期プログラムというオプションもあるけど、その人達も結局必修科目を取らなくては、看護学部受けれないんですよね。

 

必修科目って、その学部によって、ちょっと違ったりするけど、大体は、化学、生物学、数学、心理学、社会学、って感じですね。

 

私がこちらの看護大学に入ろうと思ったきっかけは、先輩たちのアドバイスでした。私は日本の高校卒業してから、アメリカに来たのですが、初めは、英語の勉強以外に何を勉強したいと言う目標ありませんでした。南部でしたが、大きな大学の英語学校に行ったので、1年の短期留学出来ている日本の大学生がたくさん居ました。その先輩達、日本の就活状況や、人材のニーズの事を、色々教えてくれました。その中で、一番心に残ったのが、”英語喋れるだけじゃ良い仕事見つからないよ。やっぱ英語喋れて、手に職持ってる人が一番だよ。”と言うアドバイスでした。

 

そのアドバイスをもらった後、将来役に立つ職というので、一番初めに頭に浮かんだのが看護師でした。私が一番大好きな叔母さんが看護師で、小さい頃から、叔母さんに憧れていたところがありました。実際、幼稚園と、小学校の低学年の時の、未来の夢が看護師になることでした。

 

という事で、初心に戻る気持ちで、希望額ぶを看護に決め、その次の日に、早速、アドバイザーにそのことを、伝え、看護学部に入るプロセスや、必要科目の事を、教えてもらいました。当時、20歳だったかな。。。。その時は、まだ待ち受けている、地獄を知りませんでした。。。。

キレイにしたい場所

ブログを始めて、2回目の投稿。とにかく続けるのが大切という事で、書き始めています。

 

まだ何を書こうと悩みながら、”記事を書く”をクリックし、初めに目に飛び込んで来たのが、このトピック。キレイにしなくてはいけない場所と言うのは沢山あるけど、”キレイにしたい場所” と言うと、一番初めに思い付いたのは、自分の頭の中。

 

苦手な事を克服しながら、新しい事に取り組む時って、どうしても、頭の中の思考がぐちゃぐちゃになり、色々な事が空回りしてしまう。そして、自分の苦しみを自分の中に封じ込み、そしてまた、自分の頭の中が抱えきれない程の感情を押し込みまくり、本当の自分可能性を失ってしまう。

 

30年前、英語もうまく話せないのに、アメリカの看護大学に入り、生まれて初めて落第ギリギリの劣等生という状況を経験し、それからテストを受けるという事に強度な恐怖を感じるようになった。

 

集中看護専門の看護師になって20年、麻酔専門の看護博士への憧れは日に日に膨れ上がっていたけど、またアメリカの大学に戻って、前のようにテストを受けなければいけないと思うと、頭の中が混乱してしまい、ずっと踏み切れなかった。このテストに対しての恐怖心はまだ強く残っていて、頭のながで、解決策が浮かばないまま悶えまくっている。実際、看護師になってからも、定期的に専門分野の資格のテスト受けなくてはならないけど、その度に指先が震え、手の甲が汗ばみ、心拍数が急激に上がり、呼吸困難を起こしたこともあった。

 

今回、この恐怖に駆られながらも、今こうして麻酔専門の看護博士になる為の大学院に合格し、30年振りに学生に戻っている。医療支援でアフリカに行った時、ある女性の救急出産に立ち会った。その人を担当した麻酔専門の看護博士がその救急帝王切開を担当し、手術中ずっとその女性に話しかけ、体の痛みを最低限に抑え、お母さんになる第一歩を励まし続けていた。そして、その女性が、”私の子供を救ってくれてありがとう”と笑顔を返した。その笑顔を見た時、私は、麻酔専門の看護博士になることを決意した。9ヶ月大切に自分の中で宿った子供を失うかも知れないと言う恐怖は、私のテストに対しての恐怖と比べもににならない。

 

とは言っても、やはり実際テストになると、その恐怖が活火山のように吹き上がり、頭の中をグチャグチャにする。その都度あのアフリカで出会った女性の事を思い出す。そして、あの笑顔が私の頭の中を一掃してくれる。あと2年半、この恐怖と直面する度に、あの女性の笑顔が私の頭の中の惨状をキレイにしていくのだろう。

動く大切さ

4月です。日本では、新学期の時期ですね。そんな中、私は、5月の期末試験と東海岸への引越しで、頭がいっぱいです。この学期終了後、20年以上働いていた仕事場を退職し、痛みのケアを極めるため動きます。正直、毎日不安と底しれない恐怖感で潰れそうです。そういう時は、また自分の原点に戻り、痛みの治療の大切さを再確認して、動いています。

 

いつも重傷を負って運ばれてくる患者さんに、動けば痛み治っていくと説得し、手術後のエクササイズを励まします。

 

車、バイク、自転車、スポーツ、アウトドア、そして、自然災害の事故や、喧嘩、虐待、殺人未遂など、さまざまな悲劇を経験して、休みなく担ぎ込まれてくる患者さん達。そんな方達の体と心の痛みをサポートしていくのが、原点。

 

動く大切さって、動けなくなった時に本当に実感するもの。私も怪我や病気で、手術をし、動けなかった時、本当に身体を動かすと言うのがどれだけ大切かという事実感しました。

 

とにかく、止まらす、動くこと。いつまでも患者さん達と動いていきたいなと思ってます。